ラーメン横綱
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■■■ 横綱の歴史 ■■■

【第一章】一途に、商売の道 〜誕生〜起業〜
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まさに裸一貫創業でした。
京都市南区吉祥院で屋台から始まったラーメン屋は、またたく間に京都府、大阪府、三重県、愛知県にいたるまでをカバーするチェーンへと成長しました。それは、創業者・河野次和の少年時代からの夢の実現でもありました。その生い立ち、青春時代、さまざまな経験と修行…。ラーメン横綱の前史を語ろうとするとき、日本の高度経済成長期とともに駆け抜けてきた彼の足跡から目をそらすことはできません。


1.無我夢中の少年時代 〜誕生・就職             
1943年(昭和18年)、中国。戦争の時代のただ中にも、市井には人々の暮らしがありました。中国に移り住んだ多くの日本人も、そこで職を得て生活を営んでいたのです。河野次和が生まれたのはそんな北京の一角。ある日本人夫婦の三人目の子供でした。
次和が育った戦後間もない時代、庶民の街のなかでは、小さな商店がとても重要な役割を果たしていました。生活に必要な品々を仕入れては売る、というだけでなく、街の人々が交流する場ともなり、町内会の世話役のようなこともしていたといいます。
「ですから、近所の商店の親父さんが非常に立派に見えましてね。その頃だんだん意識するようになってきました。子供心に『商売して成功したらみんなに頼りにされる立派な大人になれるんや!』ってね。」
商売人として成功すること。それはやがて次和少年の人生の目標となっていきます


小学生の頃、妹と、近所の子と、実家の玄関前で。
元気な庶民の街の子だった。


1962年(昭和37年)、次和は高校を卒業します。いつかは自分で商売をする。そういう志を持ってはいても、すぐに出来る商売があろうはずもありません。まずは就職して、そこで世間のこと、商売のことを勉強しよう。そう考えて入社したのが信用金庫でした。


2.営業姿勢を確立 〜銀行マンになる             
信用金庫に就職した次和は持ち前の負けん気と、人一倍の努力でもって、常にトップクラスの営業成績を維持していたといいます。次和は、だんだん独自の営業スタイルを展開するようになりました。「こうしてください」とお客様に頼んだりせず、まずお客様が何をしたいのかという本音を聞き出すことに力を傾けました。そういう本音を聞きだして、それからそのお客様にとって最適な提案をするという方法をとったのです。そのような営業スタイルで、彼は営業マンとしての頭角をめきめきと現していきました。「それでも、いつかは」と当時を思い出して次和は言います。
「自分で商売をしたいという気持ちは揺らぎませんでしたね。その当時は給料をもらいながら商売の勉強をさせてもらってると思ってましたから」


新婚旅行中の次和と弘江。
車は、当時の憧れの的だったダットサン・フェアレディ。
レンタカーではあるのだが。


ちょうどそんな頃、24歳になった次和の前にある女性(弘江)が現れました。彼女が後に次和の将来の大切なパートナーになるのです。弘江は次和と同じ職場でした。彼女はおそらく次和の一生懸命働く姿に惹かれたのでしょう。当時、あまり裕福ではなかった次和のもとへ嫁いできた弘江への結納は、結婚退職した彼女の退職金と失業保険だったといいます。そのようにして、彼らの文字通りゼロからの新生活が始まりました。


3.商売修行の日々 〜メーカーへ入社             
銀行マンとして順風満帆の道を歩んでいた次和ですが、やはり「独立をして商売をしたい」という子供の頃からの目標が頭から離れませんでした。信用金庫でお金に関する様々な知識、経験を積んだ。商売人としての自分に足りないのは「物を売る経験」だ、次和はそれまで勤めた信用金庫を止め、ある家電メーカーへと就職します。そこでも順調に成績を上げ、昇格した彼は組織と組織の人間関係というものの大切さを勉強することになりました。今まで先輩だった人を部下にすることの難しさ。リーダーのあり方。部下にやる気を起こさせるリーダーとは。上司である課長にとって自分は女房役。その立場の意味するもの、重要性・・・。彼は営業の基本を学ぶと同時に、そのようなリーダーとしての才覚と人間関係の考え方を身につけていきました。その考え方は現在1500名の組織、横綱グループ三社の基本となっています。


4.長年の夢を実現 〜ラーメン屋台開業             
信用金庫と家電メーカーで様々な経験をした次和に新しい転機がやってきます。
1972年(昭和47年)、5月23日。京都市南区吉祥院で、次和は移動式のラーメン屋を始めました。彼がラーメン屋を始めるきっかけになったのは、信用金庫時代の頃に知り合った屋台の経営者のおかげでした。次和はその経営者に弟子入りし、文字通り丁稚奉公のような下働きを自分からしました。バケツの水汲みから店の組み立てバラシ、皿洗いから下ごしらえまで全てを経験し、彼はラーメン屋台のノウハウを着実に身につけていきました。そして、独立・開店。
「最初はどうなるかと思いました。何もかも始めてですから。こんなシロートの自分でもホンマにできるのかと不安だらけでした。」
往来する人々の中に店を出す屋台は、ある意味では世間の縮図です。嫌がらせや喧嘩など、さまざまな人間関係がそこで繰り広げられました。次和にとっては、それもまた新鮮な人生勉強でした。そして、いつしか彼のラーメン屋台は『吉祥院の屋台』という呼び名で地域の人気店になっていったのです。


ついに、独立自尊の道を歩み始めた。
地域の評判になった「吉祥院の屋台」。


その後屋台は順調に繁盛し、1977年(昭和52年)、5月。ついに屋台ではなく店舗としての「ラーメン横綱」が京都市南区吉祥院30-8で始まりました。初めて自分の「城」を持って、次和の新生「ラーメン横綱」は、新たなスタートを切ろうとしていました。



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