まさに裸一貫創業でした。
京都市南区吉祥院で屋台から始まったラーメン屋は、またたく間に京都府、大阪府、三重県、愛知県にいたるまでをカバーするチェーンへと成長しました。それは、創業者・河野次和の少年時代からの夢の実現でもありました。その生い立ち、青春時代、さまざまな経験と修行…。ラーメン横綱の前史を語ろうとするとき、日本の高度経済成長期とともに駆け抜けてきた彼の足跡から目をそらすことはできません。
1.無我夢中の少年時代 〜誕生・就職
1943年(昭和18年)、中国。戦争の時代のただ中にも、市井には人々の暮らしがありました。中国に移り住んだ多くの日本人も、そこで職を得て生活を営んでいたのです。河野次和が生まれたのはそんな北京の一角。ある日本人夫婦の三人目の子供でした。
次和が育った戦後間もない時代、庶民の街のなかでは、小さな商店がとても重要な役割を果たしていました。生活に必要な品々を仕入れては売る、というだけでなく、街の人々が交流する場ともなり、町内会の世話役のようなこともしていたといいます。
「ですから、近所の商店の親父さんが非常に立派に見えましてね。その頃だんだん意識するようになってきました。子供心に『商売して成功したらみんなに頼りにされる立派な大人になれるんや!』ってね。」
商売人として成功すること。それはやがて次和少年の人生の目標となっていきます
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